あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。(たまにはちょっとまじめに!)
2015年のはじまりですかー。月日のたつのはほんとに早いものですね。
おっと!ぶぅふぅうぅ農園設立30周年ではないですか!(放牧養豚歴は37年になるのですが)節目ですね。これは何かやらないと・・・。
記念パーティー?大々的セール?う~む、農場の雲行きも怪しいし、周りは年金生活に入っているし、ここは一つ農場をたたんで楽しますか。そしたらあんなことしてこんなことして“ウワァ~夢がいっぱいだー。”
現実に戻りま~す。
人生80年時代。この先どうやって食べて行くの?いや、これは切実な問題だけど、ともかく体の動くうちは汗水たらして働くとして、最近気になる話題があります。
企業の農業参入です。一つはトマトやサラダ系に多い水耕栽培。人間が計算した肥料と人工太陽で生み出した作物はそりゃーうたい文句のように無農薬でしょうよ。しかし姿、形は同じでも生命としての中身はちがうでしょう?新しい作物と思えば「納得!」
もう一つ、農場で預かっていたミニ豚を手狭になったため友人に譲ることになりました。ところが2,3日後「飼えない」との返事がきました。なんでも、企業経営の農場が豚舎の隣にあり。農薬の散布量が半端ではなく生き物を飼うには不適格だということでした。
またあるところでは農業参入した一年目の生産物は虫食いだらけでしたが、」翌年店頭に並んだものは、それはそれはきれいなものでした。近くで有機農業をやっている友曰く「農薬バンバンで怖くて食べられねェー」とのことでした。結果オーライならなんでもOKという姿勢がなんとなく見えてきた出来事でした。
さて農場の豚は栄養計算した餌をコンクリートの上で与えてできた豚と違い、太陽もあれば土もある場所で抗生物質を全く使わずに育っています。見た目は同じでも中身は全く違った豚です。新しい豚と思えば「納得!」
自社工場や契約農場をうたい文句に生産の拡大を目指す企業。一方販売ではコンビニ全盛時代。そのたどり着く先は・・・。わかりません?
ただ、企業が限りなく工場生産に近い形で利潤を追い求める農業形態に対して、「本当の農産物ってちょっと違うんじゃない」といえるマニュファクチャー的農業も必要であり、それはひいては環境負荷の少ない循環農業につながると思っています。
30年という節目にして目指すはアンチテーゼ的役割を果たす農場であり、若い人が引き継いでくれる農場でありたいと思っています。
さて、何から手を付けましょうか?あんなことして、こんなことして“ウワァ~夢がいっぱいだー”
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。ぶぅふぅうぅ農園の農場主より、ご挨拶がござます。
当農場は人家よりちょっと離れた南面傾斜の小高い丘の上にあります。
甲府盆地を見下ろす広々した景色は初日の出を見るには良いポイントです。日の出間近、南アルプスの頂が赤く染まり次第に麓も色づいてくると、富士の見える東の山から陽が出てきます。
農場の豚さんたちに休みはないので、この日ばかりは早めに農場に行き手を合わせた後、新年の仕事開始です。さて今年はどんな年になるやら?良い年になってほしいものです。
「ねえ、神様!!人生いろいろだけれどそろそろ俺の順番回ってこない?『今年はよかった~』といえる年が・・・」
さて農場は人家よりちょっと離れていることもあり、去年はシカがよく出没した。
車の目の前を横切ってゆくシカは思いのほか大きくびっくりさせられる。そんなシカが最大14匹も畑に現れた時はびっくり、犬の“さくら”も吠えまくり。でも最近では慣れっこになって知らんぷり。
農場より外へ出ないのでリードにも繋がず全く自由の身。どこで災いにあったのか足の腱を切ってしまったようで片足生活になってしまった。でも毎日農場内を走り回ってげ・ん・き。
一方、道端から保護してきた2匹の猫はまだ子供なのか(1歳)なんにでも興味を示す。普段は入れない倉庫や車は油断するとすぐに入ってしまい、気づかなければそのまま閉じ込めてしまう。またシートをたたもうとすれば上に下にもぐって大興奮。ついでだから大波小波。さすがに「あービックリした!!」
子豚達は産後10日もすれば農場内を自由に闊歩。大きくなるに従い行動半径も広くなり、そこらじゅうひっくり返しやりたい放題。昨年の秋はお茶した後、食べかすのブドウの皮を事務所から放り投げてやったが、だんだん味を覚え、定期的に姿を見せては「ブウー」。頂き物のぶどうが余ってしまっていたところなのでこちらも図に載って房ごと「ほれ!」「くちゃ!くちゃ!たまんねー」
大きくなるに従って囲いはできてしまうがこんな調子で大地の上で自由に育つ豚は幸せ者。一般の養豚ではこうはいかない。檻の中で生まれ、育ち、効率を上げるため狭い場所に詰め込まれて育つ。病気が出ればあッという間に広まってしまうため予防薬は欠かせない。
日本の畜産は土地の制約から効率重視を目指してきました。
狭い所でいかに利益を生み出すかが課題であり、生命線になっています。
一方最近のヨーロッパでは家畜福祉が叫ばれ、家畜を工場生産物として扱うのではなく命ある生き物として接してゆこうという気運の中、飼養の最低基準としての法律化が進み罰則規定までできています。
アニマルウエルフェアー(動物福祉)は日本ではなかなか普及しません。
人間の一方的な押し付けでの畜産ではなく、生命の尊厳を認めながら共存していく環境は必要であり理想であると思います。またそれを実践することにより病気も減り健康的かつ安全な畜産物が食べられるのではないかと思います。
どうか今年はよい年になりますように!
私だけでなく、皆様も!
“餌の国産化率80%を達成”昨年暮れに牛乳工場より無添加のナチュラルチーズを引き取ることになり、魚粉、大豆粕をほとんど使わなくなりました。輸入餌90%に頼る日本の畜産にあっては快挙といえるでしょう。
ネーミングだけに踊らされている豚肉その他畜産品に対してあえて言わせていただきますと、どれをとっても自信の日本一です。
[時の流れ」
現在のようにきちんとした公図も無く隣地との境界も定かでなかった時代、せこい農民は一生かかって一転び分農地を広げるという話を聞いたことがある。境界が石であれば少しずつ移動し、桑畑なら挿し木がしやすいことを利用し伸びた枝を隣地に差し込み根付かせるという事だ。風景もいきなり変わると気が付くものだが、何年もかかって徐々に変わったものはなかなか気づかない。
農場も私が他所から来て借地で畜産を始めてちょうど30年になる。「順風満帆30年」「苦節30年」「よくぞここまで30年」いやいやそんな事を書くつもりは毛頭ない。農場は放牧養豚のため土地は広く、おまけに主の人間性も手伝って雑草と木々の中に埋もれるような状態の中にある。整然とは対照的なよく言えばより自然的な、悪く言えば雑然としている。
30年前、資金は無いが若さの特権である夢と意気込みで始めた農場は、雑草が生い茂る荒地の開拓から始まった。施設を作るのも豚を飼うのもゼロからの出発であるから、ともかく建物が建てばよかったし、豚が飼えれば良かった。まして水路など考えも及ばなかった。傾斜地にある農場は豚が土を掘り返す事により常に水流の方向が変わってしまう。最悪は施設の周りを豚が掘り返すことにより常に水が流れ込み、やがて沼になり、一転大雨になれば泥が流れ出し気づけば掘った張本人である豚もあまりの穴の深さに施設の中に戻れず大騒ぎする始末。「お前の責任だろ」と怒鳴りながらこちらも泥だらけになりながらの救出。やれやれと思って建物を見れば「こんなに段差があったけ?」。またある時は水洗のトイレの水が逆流してきてしまった。「誰だ!変なもん流したのは」。この浄化槽はまだ農場建設を始めたころスコップとツルハシで作った浸透式の合併浄化槽であり、素人が作ったにしては、何事も無く何十年も過ごしてきた。原因は2メートルもの深さがある浄化槽がある時から泥水が入るようになり泥で埋め尽くされていたのだった。後始末?ご想像に。武田信玄の治水事業は有名であるが、そのお膝元でのこの体たらくはなんとも情けない。(ちょっと大げさ)
水だけでない。樹木も毎日に生長が目に見えないだけに気がつけばびっくりする事が多々ある。「おや、こんなところに枝が」で始まり、気がつけば2,30センチメートルの大木になっている。何事も無ければ鳥さん虫さんのために「よかった」で済むが、建物の横にあると屋根を壊したり土台にひびが入ったりと結構悪さをする。時には2階からの野良猫の侵入にも一役買う。(木に言わせれば濡れ衣だが)また今年の冬には隣地からの要望で放牧場に生えている4,50年になるクヌギを切り倒した。小さな木ならチェーンソウでいつも切っているが、15メートルにも及ぶ木を切り倒すのははじめてである。倒れる方向の心配とあまりの迫力に1本切り倒すごとにすごい疲れを感じる。中でも二股のなった直径50センチメートルぐらいの枝を、もう片方の枝に乗って切ったときは、枝が倒れるときの緊張と振動で一日分の仕事を終えたような疲労感でしばらくは木の上で呆然と立ち尽くしてしまった。時の流れを感じる出来事である。
今世界中の懸案事項になっている環境問題も、目に見えない中で進行した結果である。化石燃料の消費、二酸化炭素の排出、とうもろこしを原料とするバイオ燃料導入による食糧不足、世界はこれからどうなってゆくのだろうか心配であるが、放牧場の大きな木を切ったときにふと思ったことがある。我が家はまきを使ったストーブで暖を取っているが、この木が3,4本あると一冬足りてしまうのである。これはお金で冬場の灯油や電気を買っている人には全くもってわからない感覚であると思うと同時に、循環的な生活の一つとして里山を大切にした昔の生活様式を思わずにはいられなかった。建設資材としての熱帯雨林の伐採、バイオ燃料のための森林開発等人間の欲望の浅はかさを考えさせられてしまった。
「足ることを知る」
全ての生き物に、合掌!
「母豚の愛情」って?
わが豚舎は27年前にリサイクルされた材料を使って手作りで作ったものなので、ともかくボロである。ボロであるが故に様々な騒動が起こる。これは数年前のお産にまつわる冬の出来事である。
その当時使っていた手作りの分娩枠はもう20年以上使っていたため、あちこち壊され修理のための溶接の後がそこらじゅうにあるものだった。そんな痛々しい枠に入ってきたのは、初めてのお産である新人君。たいていの新人君はいままで外の放牧場で自由に過ごしていたものだから、分娩枠のような狭いところに突然拘束されると、とんでもない力で暴れる。その日は夕方お産が始まりそうなことを確認して一旦家に戻り夜中再び豚舎へ行った。扉を開けると何か雰囲気が違う。お産予定の豚のところへ目をやるといない。分娩枠のパイプはものの見事に捻じ曲げられ大きな空間が出来ているではないか。では豚はどこへ。扉は閉まっていたしどこへも出られるはずがないのだが・・・。よく調べてみると反対側の扉の板が壊されている。これはやばい。この寒い冬の夜中どこを探せば良いというのか。ともかく懐中電灯をもって周辺を探してみる。いない。山の中へ入ってしまったのだろうか。もう少し範囲を広げて探してみるが、懐中電灯の光に限界を感じ捜索は中止。
翌朝明るくなると同時に家を飛び出し探しに出かけた。恥ずかしい話ではあるが昔はよく豚が逃げ出しそのたびに探し回ったので、逃げた豚を追っかけるのは結構得意である。まずは落ち着いて深呼吸をし、逃げた豚の気持ちになりきることである。そして行き先の見当をつけたら、西部劇に登場するインデアンよろしく足跡を見つけることである。舗装道路ではだめだが山道なら結構見つけられるものである。「あった」大きな母豚の足跡。思ったとおり山の中へ向かっている。不安に襲われながら「道沿いなら足跡も確認できるが藪の中ではなかなか分からない」などと考えて足跡を追いかけていると、豚舎から150mぐらい進んだところで突然「ブゥー」。落ち葉の積もっているところに穴を掘り、こっちを向いてなにやら言いたげに再び「ブゥー」。
「馬鹿やろー。心配させやがって」はドラマの世界。腹の辺りでチビが動いている。1頭、2頭、3頭・・・。生きているのは七頭。残り半分はすでに死んでいる。ともかく7頭を助けるため病院へ。いや保温箱へ運ぶ。さてと、次の問題は母豚をどうやって連れて来るかである。体力を消耗していなければ好物のパンで引っ張って来られるのだが・・・。
とりあえずパンを投げてみる。食べた。食欲はありそうだ。立ってくれよと祈りながらもう少し手前に投げる。体を起こして食べるが腰までは上げない。後ろに回って尻尾を持ち上げ強制的に立たせる。「さあ、前に進んでおくれ」パンを投げる。1歩、2歩。くるっと回って元へ戻ろうとする。「おいおい、戻るな」パンを投げ続ける。今度は4,5メートル歩いたところで立ち止まりなにやら考えている様子。そしておもむろに後ろ向きまた戻ってしまった。「お前の子供はもうそこにはいないのだ。帰るよ」そんな言葉をかけながら行ったり来たり。ようやく10メートルほど引っ張ってきたが今までと違って今度は頑としてその先へ進もうとしない。「私は食べ物に釣られ、それ以上のもっと大事な何かを忘れているのでは・・・?」といわんばかりに考え込みしばし立ち止まってしまうのである。「思い出した。私の子が・・・」何回やっても母はその時点で戻ってしまうのである。しょうがない。ちょっと荒っぽくなるが板を使って戻ろうとする豚を力づくで阻止し、前へ押した。最初はかなり抵抗したがしばらくしてあきらめたと思うや、今度は一転、狐につままれたように全く抵抗せずパンを追ってすたこらすんなり分娩舎まで戻ってきた。メデタシ。メデタシ。それにしても、「行く」「行かない」を分けたあの境界線は何だったのだろう。
教訓
「ああ、母の愛は山より高し。海より深し。食べ物より強し」
「えッ・・・?」
「食べ物より強し」は削除。
「地球温暖化」「環境破壊」今や避けては通れない深刻な問題となっておりますが、自らに問うた時「加害者」になっていない人など皆無であろうと思われます。言い切れるとしたら完璧な自給自足生活を送っている人ぐらいではないでしょうか。欲の皮を剥いでゆくと生きるための必要量は意外と少ない事に驚かされます。財という欲にあこがれるも夢のままで終わっている農場生活の一端を紹介しましょう。
今現在、農場では65~70%の国産飼料を使っており、そのほとんどが米粉、ぬか、ビーフン、おからなどエコフィード(食品リサイクル)です。その中の一つに昨年から使うようになったパン工場から出るパンの耳があります。餌としてはそのまま与えるのが一番効率のいい方法ですが、1回の運搬量が多いため保存を考えねばならず、その方法として乾燥粉砕をしています。当時、設備を整え一気に仕上げる方法も考えましたが、化石燃料を使っての乾燥ではエコのために反エコを行う事になり矛盾してしまいます。(実は今謳われているエコの中には程度の差こそあれこの矛盾を抱えているものが多数ある)検討の結果大自然のエネルギーを利用しての「天日乾燥」を選択し、ハウスの中に乾されたパンは冬場なら3,4日でパリパリになるのでそれをまず車で踏み潰し、次に粉砕機にかけ輸入トウモロコシの代わりとなるパン粉が出来上がり餌に混ぜます。
ところで興味を持ってみると、「天日乾燥」を保存食品として活用している食品の多さに驚かされます。そしてまたスピードと効率が求められる現代から見ればあまりにも超零細、アナログ的ですが、人間にとって本来の生き方のようでなりません。パン屋さんでの引き取りは、工場の中はハイテクを駆使した流れ作業でしょうが、ひとたび製品製造過程から外れたものはごみであり何の設備もないので、ただひたすら集積されたパンの山の中にもぐってかごにつめ、運び出し、トラックに手で積みます。われわれ田舎のフィットネスクラブではこれを「マッチョコース」とよび、次に運んで帰ってきたらハウスの中に広げますが、寒い冬はともかく暑い夏場は地獄の作業となります。これは「ダイエットコース」。お金を払ってご大層な設備を整えたフィットネスクラブに通う都会人がかわいそうに見えます。ギャル言葉で言えば「なんかおかしくねェー」お天道さんと一緒に生きる生き方は大変だろうけど、判りやすいシンプルな生活やゆっくりとした時間の流れは興味深くあこがれるものがあります。
話は変わりますが、パンを引き取る事となった最初の頃は、あまりの多さに処理しきれず生でそのまま母豚に与えていました。初めの頃はよかったのですが、3,4ヶ月も経るとお産した子豚が虚弱でほとんど死んでしまいました。新しい病気が農場に侵入したのではと疑いを持ち病勢鑑定にもだしましたが、結果は問題なし。ようやくたどり着いた結論はパンのやりすぎによる母豚のメタボでした。情けない!太りすぎには注意をしましょう。